「透明人間」だった私が、机の向こう側に座るまで

仕事の悩み

名前を呼ばれた記憶が、ありません。

私はあの窓口で、番号でした。

透明人間になったのだと思いました。


辞めたくて、辞めたのではありませんでした。

夫の転職が決まって、私は仕事を続けられなくなりました。
自分で決めたことではないのに、気がつけば「失業者」と呼ばれる側に座っていました。

机の手前と、向こう側

初めて就職の相談窓口に行った日。
机をはさんで、見えない壁がありました。

手前に座るのが、仕事を失った人。
向こうに座るのが、働いている人。

この間まで、私も向こう側にいたのに。

「どうせ、私の気持ちなんて分からないでしょう」

そんな、ひねくれた気持ちで座っていました。

そのとき、年配の男性の相談員さんが、こう言ったんです。

辞めたくないのに、辞めたんだね。
大丈夫だよ。ちゃんとお金がすぐもらえるようにしてあげるからね

驚きました。
そんなふうに言ってもらえるとは、思っていなかったから。

その方にとっては、なんでもない一言だったと思います。
でも私には、今思い出しても胸がゆるむ言葉でした。

10年後、同じ椅子で

それから10年ほど経って、私はまた、別の窓口に通っていました。

一日も早く働きたくて、ほとんど毎日通いました。
面接に行っては不採用になり、また窓口に戻る。その繰り返しでした。

そのころ、聞かれるのは登録番号だけでした。

キーボードの音がずっと続いていて、
相手の目は、最後まで画面から動きませんでした。

責める気持ちはありませんでした。
「窓口とは、そういうものなんだろう」と、自分に言い聞かせていました。

名前を呼ばれた記憶が、ありません。

私はあの窓口で、番号でした。

同じ椅子に座って、
一度は心がほどけて、一度は自分が消えていく。

不思議なものだと思います。

受ける側になって、13年

今、私はその机の向こう側に座っています。
就労支援の仕事を、13年経験しました。

人に傷つけられたことは、人によって癒される。

これは理屈ではなく、自分の身で知っていることです。

だから、目の前の方が座った一秒目から、
声のトーンも、書類の渡し方も、席を立つときのひと言も、
おろそかにしないと決めています。

でも、窓口に来られる人は、ほんの一部です

ただ、13年やってきて、ずっと引っかかっていることがあります。

相談の椅子に座れる人は、ほんの一部だということです。

朝、起き上がれない人。
まだ働いていて、誰にも言えないまま、職場で削られている人。
「こんなことで相談していいのか」と思って、行かないままの人。

そういう方のほうが、ずっと多い。

そしてその方たちには、あの日の一言が届きません。

だから、書いています

届かないなら、こちらから置いておくしかない。

そう思って始めたのが、この「こころの保健室」です。

学校の保健室は、治す場所ではありませんでした。
少し横になって、熱を測って、大丈夫そうなら教室に戻る。
無理そうなら、そのまま休んでいい。

そういう場所が、働く大人にもあっていいはずです。

読んでも、何かが解決するわけではないかもしれません。

それでも、読んだあとに肩の力が少しだけ抜けて、
明日が今日より軽くなったなら、それでじゅうぶんです。

何者でもなくなった日から。
失ってから分かったことを、書いています。

立ち止まっても、だいじょうぶ。

今日も、そう伝えたくて書いています。


このブログでは、職場での人間関係、頑張りすぎてしまうこと、もう一度働くための準備について書いています。今の気持ちに近いところから、どうぞ。

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